ジェンダーフリーやLGBT(性的少数者)を理解する動きはドイツでもあり、すでに同性婚も認められている。そのためドイツでは男女差別をなくそうとニュートラルな表現を推進しているが、人や職業を表す名詞のほとんどに男女の区別があるため一筋縄ではいかない。
日本でも「看護婦」が一般的だったが、女性のみをさすことからニュートラルな看護師を男女ともに使う傾向がある。しかしドイツ語では「先生」は、男性はLehrer、女性はLehrerinで、「市民」はBürgerなら男性、Bürgerinなら女性である。すなわち男性形の語尾に「in」がつくと女性形となる。だからドイツ語で新聞を読んだり、話をすると、「裁判官」「コック」「隣人」「パートナー」「エンジニア」「孫」など話題にのぼる人が男か女かすぐわかるのである。便利である一面、プライバシーに関わることもある。例えば「友達と約束している」といえば、その友達は男か女か、一人か複数か、ドイツ語では一目瞭然である。
もうひとつの問題は、一般的な表現ではいつも男性形が使われてきたことである。つまり一般的に「先生」を指す場合は、男性形の「Lehrer」(単数複数同じ)である。しかし男女差別であるとし、「Lehrerinnen und Lehrer(女性教師に複数形と男性教師の複数形)」を使うことが増えてきた。このとき、女性形から先にいうのが暗黙の了解にとなっている。日本語と比べてなんと長いことか。さらに私の住むハノーファーでは1年ほど前、市は女性名詞の複数形に星印を入れたものを一般の複数形として推進すると発表した。つまり教師の複数形は「Lehrer*innen」となり、市の文書には星印満載である。
新たにニュートラルな表現が浸透してきた単語もある。「学生」はStudent(男子学生)や Studentin(女子学生)でなく、Studierende(学ぶ人)であり、「介護人」はPfleger, Pflegerin でなくPflegekraft(介護する力)という表現である。
だから通訳するときも気を使う。話し言葉に星印は見えないので、なるべく女性複数形と男性複数形の両方をいうが、その分長くなり、まどろっこしい。それでなくとも日本語では男女はもちろん単数か複数かわからないことが多々あり、頭痛の種である。
それにしてもドイツ語では、どうして男女の区別がそんなに大事なのだろうか。キリスト教の影響なのか、男女の区別を知りたいという強い欲求からか。ドイツでは子どもに名前をつけるさい、男か女かわかるものでないと役所が受理しない。きらきらネームなど何でもありの日本とは対象的である。これも文化の違いなのだろう。通訳者は言葉だけでなく、両方の文化や慣習、またその変化をいち早く知る必要があると改めて思う。これからも、存在を感じさせないくらい自然な通訳をして、人々の役に立ちたい。
≪田口理穂(たぐちりほ)/プロフィール≫
1996年よりドイツ・ハノーファー在住。ジャーナリスト、ドイツ法廷通訳・翻訳士。
最近、視察の通訳が多いが、いろんな人がドイツにきて、いろんなことをきいて帰るのだなと感心する。なんやかんやいっても通訳するのは楽しい。みなさまからのご依頼をお待ちしています。ritaguchi2003(アットマーク)yahoo.co.jp