第5回  地道にこつこつと

さまざまな言語による欧州連合基本権ミニブック

通訳をしていて楽しいのは、いろんな世界に触れられること。通常なら足を踏み入れることのない世界や場所を知ることができる。通訳を呼ぶぐらいだから、込み入った内容であることが多く、物事の真髄に触れるような経験をすることがある。しかしその分、臨機応変さが求められる。単語がわかれば通訳できるというものではなく、直訳してもまったく通じないことがある。

製造業であれ、エネルギー業界であれ、農業であれ、その業界に特有な表現がある。専門用語といえるものもあれば、その会社でしか通じない表現もある。辞書に載っていない使い方も多々あり、通訳泣かせである。そういうとき「それはどういう意味ですか、日本語ではなんというのですか」と、日本人の参加者にきいてしまう。すると適切な用語を教えてくれるので、以後はその用語を使う。同じ業界なら、他社でも同じ表現を使っていることがあるので、そうしてこつこつと表現を集めていく。

通訳は黒子であるから、でしゃばってはいけないし、自分の意見は言えない。聞いたことをただ正確に、多言語に置き換えるだけである。自分がきちんと理解できていないと、言葉だけ訳しても伝わらない。いちいち聞き返すことができないときは、意図を汲み取りつつ、想像と経験で補いつつ通訳することもある。

先日ある企業で通訳をしていて 「セルロイド」という言葉が出てきた。ちょうど前日にセルロイドは燃えやすいと推理小説の中で読んだばかりだったが、その企業はセルロイドとは関係のない分野だったので驚いた。セルロイドは 合成樹脂の一種で、燃えやすいことから現在ではすっかり廃れてしまったが、以前は起き上がりこぼし人形など多くの家庭で親しまれていた。セルロイドという言葉に触れたのもずいぶん久しぶりだったが、2日連続で聞くことになろうとは。そういうとき、すべては繋がっているなと感じる。 いろんなところにさまざまな情報が転がっていて、どこで何が役に立つかわからないから面白い。というわけで、日々勉強である。道のりはどこまでも長く、険しい。

田口理穂(たぐちりほ)/プロフィール
1996年よりドイツ・ハノーファー在住。ジャーナリスト、ドイツ州裁判所認定通訳・翻訳士。
先日、リトアニアに遊びに行った。リトアニア語はまったくわからない。ドイツ語圏にいるときは不自由ないのでぴんとこないが、こうして他国に来ると言葉がわからない心細さを実感する。世界には無数の言語があり、それぞれに発達してきたんだなと改めて思う。ちなみにリトアニア語で、ありがとうは「あーちゅ」。これだけは覚えた。