第5回 英語は鬼門!?

回り道しながらもようやくたどり着いたスタート地点。私は、もう20年も前になる日本で大学に入学した時のドキドキ感を思い出していた。大学のホームページ上から入手した授業科目表には、2年間で受けることのできる科目が並ぶ。私が専攻する「Polonistyka w kontekstach kultury(文化というコンテクストにおけるポーランド学)」は4セメスター制となっており、日本の大学と同じように、必修科目と選択科目があった。この専攻の特色は選択科目にあり、各セメスターでそこに記されている“文学”、“言語”、“文化”それぞれの分野の科目から1つあるいは2つの授業を合計5つ選択するというシステムになっていた。どれも面白そうなタイトルで迷ってしまう。

授業科目の中で一つ、入学前から心配でたまらなかった科目があった。それは、1年次の必修科目に含まれていた「英語」。英語は中学生の頃から大学を卒業するまで、いつも私の好きな教科であり、得意な教科でもあった。しかし、結婚してポーランドに住み始めて以来、英語を見たり聞いたりする機会は減る一方で、気がつけば私の世界はポーランド語一色に染まっていた。英語を忘れないようにしなければと常々思っていたにもかかわらず、ポーランド語の語彙が増えていく分だけ、英語の語彙が減っていくように感じられた。

心配していた理由はもう一つあった。ポーランドでポーランド語の授業を受講したことはあっても、英語の授業を受けたことはない。私にとって外国語であるポーランド語で、同じく外国語である英語を勉強するというのがどういうものなのか想像できなかった。その英語を一緒に勉強する仲間が、小学生の時からずっと英語を勉強している現役学生だというのも私の不安をあおるようだった。私の方は、英語で映画を見たり、英語の音楽を聴いたりすることはあっても、最後にきちんと英語を勉強したのは大学生の時だったのだから。

外国語とは縁遠いようなポーランド文学科ではあるが、英語の授業に参加するには中上級レベル(B2)が必要とのこと。大学の学士課程(3年間)終了時にはB2の検定試験に合格することになっているからだ。ポーランド文学科全体で同じ授業のため、文学や語学が専攻の学生は予め15~20人ほどのグループに振り分けられていたが、私の専攻は別扱いとなっており、自分たちで好きな時間を選んでいくようにと言われていた。

私は他の授業との都合上、月曜日の朝8時からという朝イチの授業に行ってみることにした。時間割を見てみると、その時間はヤヌシュという名前の男の先生らしい。

もし厳しそうな先生だったら別のグループに入ることにしようか、などと思いめぐらしていたところへヤヌシュ先生がやって来た。白髪の優しそうな先生だ。50代くらいだろうか。

こちらで英語の検定試験など受けたことのない私は、B2という英語レベルがどの程度のものか分からずにいた。周りの学生達がみな、英語ペラペラのように見えてしまう。授業はポーランド語で進められるものと勝手に思い込んでいたが、先生はなんと流暢な英語で話し始めた。授業内容やテストについての大切な話まで英語だ! 私は先生の英語を聞き取るのに必死だった。先生はクラクフ出身の方で、イギリスに住んでいたことがあるそうだ。日本の英語教育はアメリカ英語が主流だが、ポーランドではイギリス英語。ポーランドがヨーロッパの一部であることを再認識した。

初日の授業では、英語にまつわるイギリスの歴史を簡単に説明した動画を見た。ケルト人がやって来たことに始まり、ローマ人、アングロサクソン人、そしてバイキングの侵入と続く。動画はもちろんイギリス英語で、緊張の余り半分くらいしか理解できなかったようにも思う。まさに不安でいっぱいの幕開けとなった。

英語の授業で使った資料の一部。1年間で随分いろいろな分野の英語を勉強したんだなと、我ながらびっくり。

授業はバラエティに富んでいた。教室ではインターネットがつながるので、動画を見ることが多かった。論文執筆や留学に必要な用語を習うこともあった。TEDというアメリカの講演会の動画を見たこともあった。先生は映画がお好きなようで、2003年のイギリス映画『真珠の耳飾りの少女』と2011年のアメリカ映画『ミッドナイト・イン・パリ』を見せてくれた。私はどちらも見たことがなかったが、後者は主人公が小説家志望で、タイムスリップしてヘミングウェイやピカソに会うというような内容だったので、文学部の学生として(?)楽しく見ることができた。

テストも数回あった。テストは返却されず、先生が各学生の点数を順番に発表していくだけ。最初の頃は、自分の点数だけ極端に低かったらどうしよう、恥ずかしいなと焦っていたが、私の点数はわりと上位なことが多くほっとしたものだった。「外国人は話すのが得意で、日本人は文法が得意」というのは本当のようで、隣の人とペアになって話すときには英語を話そうとしてもどうしてもポーランド語が口から出てきたりして、うまく話せなかったが、ペーパーテストのほうはよくできたのかもしれない。

こうして1年間にわたる週1回の英語の授業は「4.5」という良い成績で終えることができた。この授業を通して知り合えた友達や先生とお別れするのはちょっぴり寂しかったが、2年生になっても廊下ですれ違うと挨拶し合えたのは嬉しかった。驚いたのは、自宅近くでヤヌシュ先生とばったり会ってしまったことだ。どうやら我が家の近所にお住いのようで、買い物かばんを手にした先生のことを、今でもちょくちょくお見かけする。つい先日も愛犬ラッキーの散歩をしていた時にお会いし、ご挨拶したところ。先生も私のことを懐かしく思ってくださっているのだろうか。

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。翻訳にも従事。
小学6年生の娘が英語の宿題を見せに来る。教科書にはA2レベルと書かれているが、私の頃とは違い、パソコンやインターネット関連の見慣れない用語が多く、なかなか難しい。先日は、「on the street(道で)」だと思っていたのを娘が「in the street」と書いていたので、前置詞が違うのではないかと調べてみたら、イギリス英語ではinを使うのだということを知った。言語は日々勉強だと感じている。
共著『ポーランド・ポズナンの少女たち~イェジッツェ物語シリーズ22作と遊ぶ』(未知谷)
ブログ「ポーランドで読んで、ポーランドを書いて」