
息子が無事、専門学校に合格し、希望通りのゲームCGコースに入ることができた。
実は最初にAO入試で受けた専門学校は不合格であった。オープンスクールにパソコンを持ち込んで3DCG作品を見てもらい、褒められた息子は入試で新作を披露し、「面接の先生からすごい! って言われた」と喜んでいたのである。それなのになぜ? と親子共々ショックを受けた。高校の担任が問い合わせてくれたところ、「コミュニケーション力に問題が感じられ、他の生徒とグループ作業をするのが難しいと判断した」という答えだったという。
息子には言語障害があり、今通っている高校は、不登校、発達障害などなんらかの問題を抱えている生徒たちが集まる学校である。そこで息子はいじめにも合わず、クラスメイトたちとも何とか接しながら、親身になってくれる先生たちに見守られ、楽しく穏やかに過ごして来た。ところが、今、進路を決める時になって、“障害”をあらためて直視せざるを得ないことになった。
息子の教育を学校任せにしていたつもりはないが、家でもっとコミュニケーションスキルを身につけるような訓練をしておけばよかった、と後悔する。
もう一つの志望校を学校推薦で受けることが決まり、以後毎日、面接の練習を中心に遅まきながら“日本語を話す、読む、書くの勉強”をすることに。高校の授業で使っている国語や社会の教科書のおさらいやテーマを決めてスピーチをさせてみたりした。
また、私は近隣の町にある出雲大社の分社や二宮尊徳ゆかりの神社などに合格祈願に出向く。苦しい時の神頼みである。
二つ目の学校の面接を終えた後、息子に「どうだった?」と尋ねると、「前よりうまく話せたし、作品も褒めてくれたし、自分はコミュ障です、って言ったら先生が、問題ありませんよ、って言ってくれた」と嬉しそうに答える。息子自身もコミュニケーション障害が理由で落とされたことを苦にしていたのだ。
受験から1週間後、学校から速達で合否通知が届いたが、気の弱い母は封を開けられず、息子に託す。そこに「合格」の文字を認めた時には、図らずも涙が出て、思わず息子を抱きしめてしまった。日本に住むようになってからは私とのハグを嫌がっていた息子だが(年齢的なもの?)、この時はなすがままにされていた。そして「受かると思っていたけど、やっぱり嬉しい」が息子の素直な感想であった。
《江草由香(えぐさゆか)/プロフィール》
編集者・ライター・通訳・翻訳者・イベントコーディネーター。
立教大学仏文科卒。映画理論を学ぶために96年に渡仏し、パリ第一大学映画学科に登録。フランスでPRESSE FEMININE JAPONAISEを設立し、99年にパリ発フリーペーパー『Bisouビズ』を創刊。現在パリ・フランスとアート&モノづくりをテーマにしたサイト『BisouFranceビズ・フランス』の編集長。個人ブログは『湘南二宮時々パリ』。