夏のある週末の爽やかな朝、チリンと、メッセージの着信があり、見ると、エミコさんからでした。この連載の、ダマスキナードの回(6回,7回,8回)に登場してくれた、金や銀の糸を扱う職人的アーティストです。九州に伝わる伝統工芸・肥後象嵌と、トレドに伝わるダマスキナードを融合させた技術を研究するため、年に一度、住んでいる熊本からトレドまで師匠を訪ねに来るのです。
——タエコさーん、何していますか?
——いやあ、朝ごはんが終わったところ。何時に会う?
——今からでもいいですよ。
——OK。
そう返信しながら、私は、頭の中で検索をかけて、行く場所を絞り出していました。
——タラベラに、陶器を見に行こうか?
——わあ、素敵。ぜひ、そうしましょう!
あっという間にその日の予定が決まり、その30分後には、私たちは、トレドから車で1時間ほど南西に行ったところにある、スペイン陶器の窯元が揃う街タラベラ・デ・ラ・レイナ、通称タラベラへ向かう高速道路を走っていました。
15世紀より王室や修道院に献上されてきたその陶器は、「タラベラ焼き」として日本でも有名ですが、周辺にもまた陶器、窯元、刺繍で有名な村がいくつか集まっており、職人好きがハマる村巡りを楽しめる絶好の場所であります。
が、私の頭は、検索を続けていました。
プエンテ・デ・アルソビスポ。そう。せっかく職人エミコ氏と一緒なら、メジャーなタラベラより、プロっぽいプエンテ・デ・アルソビスポへ直行し、かねてから気になっていた陶器の店に時間をかけた方がいいかなあと思ったのです。
「ねえ、エミコさん、行き先変えても怒らない?」
「全然いいですよ! そこに行きましょうよ!」
プエンテ・デ・アルソビスポもまた、知る人ぞ知るという陶器の村ですが、交通が不便なこともあり、日本人観光客はあまり来ません。観光地ではないので、お目当ての陶器を買い終わったら、他にすることもありません。
ここまで来たら、スペイン人なら、隣のオロペサという村に行くでしょう。
西に連なる山脈と広大な原野に囲まれたその村には、小高い丘に美しい中世の城がそのまま残っており、その城壁の内側には、貴族の屋敷を利用した国営ホテル(パラドール)があるのです。「オロ(黄金)ペサ(重り)」という地名の上、ポルトガル国境まで車で2時間という場所でもあるせいか、歴史ロマンを掻き立てられ、ちょっとした小旅行ができるのも魅力です。
「いやあ、こんなところに、こんなオサレなものがあったなんて」
感動するエミコさんと二人で、キャーキャー言いながら、さっそく、貴族の屋敷博物館とも呼べそうなパラドールの中を自由自在に巡り歩き、記念写真もバチバチ。最後にはホテルに備えられた、瀟洒な居間風のカフェで一服し、
「この村の近くに、ラガルテラっていう、刺繍で有名な村があるんだけど、せっかくだから、足を伸ばしてみる? 」
「いいっすねー」
などと話しながら、城壁の外へ出た時、門の脇にある、ひっそりとした土産物屋が目にとまりました。窓や入り口に、白い布の刺繍がかけてあります。
「そうそう、あんな感じの布なのよ。ラガルテラの刺繍って」
ショーウィンドーに近づいたら、おしゃれな陶器のコーヒーカップも飾られていました。
「なんだか面白そう。ちょっと入ってみない? 」
今回の主人公、マリベルさんとは、こうして知り合うことになりました。
「いらっしゃーい……?」
職人風の年配女性が、ここではめったに見かけないであろう東洋人女性を、やや奇異な目で見ています。私たちもまた、「こんにちは」と言った後は、日本語で話しながら、それぞれ興味のある商品をいろいろ物色したり、スペイン風の刺繍が施された白いカーテンやテーブルクロスをめくったりしていました。一通り見て納得した後、私はスペイン語で切り出しました。
「この布も、エンカヘ(注※&第23回参照)ですか?」
スペイン語が通じることに安心した様子は、マリベルさんの笑みを含んだ目でわかりました。
「エンカヘなら、カマリーニャスよ」
「やっぱり、カマリーニャスは有名なんですね。クリスマスに行ってきたんですよ!」
「それは良かったわね。良いエンカヘがたくさんあったでしょう。この周辺は、ボルダードが主流よ」
ボルダードは、布に描かれた下地の上に、カラフルな刺繍糸を刺しながら花や果物などを描いていく、世界共通の基本的な技法であり、ラガルテラの刺繍は、シンプルな色合いでできた、アラブ風の幾何学模様が一般的です。
テーブルの上に陳列されていた小さめの布を手にとって私たちに見せながら、マリベルさんが説明を始めると、布にも詳しいエミコさんが、前のめりになりました。セーターや服の虫食い穴も、穴が空いていたことがわからないように修復できる彼女の目が俄然と輝き出し、素っ頓狂な声が店内に響きます。
「タエコさん、見て! このまつり縫い。すごくきめ細かい! どちらが裏か表か、わからない!」
「どういうこと?」
マリベルさんから布を受け取り、角を注意深く観察しているエミコさんは、裏と表を何度もめくり返しながら、
「ほら、どっちが裏でどっちが表かわからないでしょう?」
と感心しています。確かに、布の裏のまつり縫いの部分は、糸が丁寧に隠されている上、 布の段差さえ感じられません。
そんな細かいことに気がついてくれるんだ、この子たちは、 と大喜びしているのは、マリベルさんの方でした。
ならば、もういいかなと思って、私はエミコさんを促しました。
「ねえ、もう正体バラしていいんじゃないの? 携帯にある作品の写真、見せたら?」
「もう、バラしちゃいますか? ハイハイ」
もったいぶっていたわけではなく、私たち、特にエミコさんには照れや気恥ずかしさがあったのです。
エミコさんが携帯電話を差し出すと、数々のきめ細かいアクセアサリーの作品を目にしたマリベルさんの話し方が、客ではなく同類を受け入れる態度に変わりました。
「まあ、あなたたちって!」
「えへへ、そういうことなんです」
これで、3人の呼吸のリズムが整いました。
「ならば、これを見てくださる? 私が作っているデスイラードなの」
嬉しそうに、マリベルさんが製作中の作品を机の下から取り出し、広げ始めています。
「デスイラード?」
「そう。この土地の刺繍の最大の特徴は、このデスイラードなの。その布もデスイラードよ」
私が最初に質問した、白い布に細かい穴で花や星の模様ができているその刺繍は、カマリーニャスで見たレース編みとは、手法はよくわかりませんが、確かにどこか違います。
「デスイラードは、もう、作る人がいないの。村にできる人が50人くらいいるんだけど、その大半が70歳以上だから、目がダメのよ。もうじきよ。これが骨董になる日は」
「え?」
「作れる人が誰もいなくなる日も近い、ということよ」
「消滅……ってことですか?」
「そうよ。そうならないために、私も勉強を始めたわけなのよ……」
せっかく話が盛り上がったところへ、水を差すような「消滅宣言」。
カマリーニャスには若手の主婦の作り手がたくさんいたのに。
「そんな深刻な事態があったなんて!」と、私は息を呑みました。
※*前回紹介したレース編み。ガリシア州の村カマリーニャス産が有名
《河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール》
スペイン在住15年。ライター・フォトグラファー。大学講師。ビジネス・旅行コーディネーター。台湾・フランスを含め海外在住歴25年。日西通訳のほか、スペイン語・中国語の通訳も。カトリック信者で神秘的な体験も多い。その一つが「隠れ切支丹」体験。「隠れ切支丹を調べなきゃ」と思った途端、長崎県から仕事をいただき長崎県訪問が実現、本物の隠れ切支丹の末裔と出会い、奄美大島では数々のカトリック教会を訪れる旅ができ、家康の弾圧で殉教したスペイン人修道士の関係者との交流もスペインで始まった。もう一つの神秘は、運動嫌いで運転できなかった私が目下、筋力作りに夢中で、趣味が運転だということ (笑)。次回の奇跡は何であろうか?