第3回 なまりはつらいよ
ハノーファー市庁舎と緑豊かな街並み

ドイツにも、なまりや方言はある。首都ベルリンも、欧州経済の中心地であるフランクフルトも、オクトーバーフェストで有名なミュンヘンもなまっている。ドイツ語の標準語は何を隠そう、ハノーファーなのである。北ドイツの一都市にすぎず、世界的に無名なハノーファーで標準語が話されている。だから私はここに来た。

ドイツ語を学ぼうとひとり勝手にドイツに行くことにしたので、標準語を話せるところがいいと思った。ハノーファーは人口50万人で、観光名所の(ほぼ)ないところだが、 劇場や博物館など文化施設が充実し、市内交通網が整備されており生活しやすい。最初は全くドイツ語ができなかったため、英語でなんとか意思疎通を図りつつ、外国人が大学入学資格を取れる州立の学校に入ってドイツ語を学び始めた。

1年スパルタ式で学んだのち、ハノーファー大学社会学部に入学したものの、カール・マルクスをドイツ語で読んでレポートなど書けるはずもない。単位を取るのは容易ではなく、大学にある外国人学生向けのドイツ語授業にばかり通っていた。社会学の授業にもぼちぼち参加したが、まったく理解できない講義と討論にわかるふりをし、細かくびっしり書かれたテキストに絶望的な思いで向き合い、辞書との格闘という様相だった。

ドイツに来て 1年半ほど経ち、ストレスと孤独で10キロ太り、また冬が巡ってきて、だんだん温泉が恋しくなった。実家のある長野県ではしょっちゅう近所の温泉に行っていたが、ドイツに大衆浴場はなく、大きな熱い湯船への恋慕が募る。そこで一念発起し(大げさ)、列車で片道6時間かけて南ドイツの温泉地バーデンバーデンに出かけた。

バーデンバーデン駅に到着し、バスに乗った。車内ではドイツ語は聞こえてこず、知らない言葉ばかり耳に入ってくる。この街は外国人が多いんだなと思った。夢に見たフリードリヒ浴場の受付のおばさんもドイツ語が下手だった(ちなみにお湯はぬるくて、がっかり)。カフェに入っても、外国語ばかりきこえてきた。フランスに近いし、いろんな人がいるのだなと思った。

ところが、突然気付いた。もしかして、これドイツ語ではないか……。実はみなドイツ語をしゃべっていたのである。ただなまっているため、ドイツ語初心者の私には聞き取れなかったのだ。そうか、と納得したら、急に周りの会話がドイツ語に聞こえてきた。

標準語に囲まれて暮らしているので、今でもミュンヘンやフライブルクなど南ドイツに行くと、方言がきつくて通訳しづらいことがある。そしてドイツ人から、発音がいいですねとほめられたりする。オーストリアやスイスでもドイツ語が話されているが、ニュースで見るスイスの政治家のドイツ語は田舎のおじさんが話しているように聞こえるし、オーストリアの一般家庭を訪問すると半分も理解できない。

あと、かっこいいと思っているのか、ラテン語やイタリア語など他言語の単語を混ぜてしゃべる人がいるが、通訳には地獄なのでやめてほしい(英語は許す)。インテリほどその傾向があるように感じるのは、気のせいだろうか。

田口理穂(たぐちりほ)/プロフィール
1996年よりドイツ・ハノーファー在住。ジャーナリスト、ドイツ州裁判所認定通訳・翻訳士。
先日、裁判官へのインタビューで通訳する機会があった。裁判官自身の能力が高いのはもちろん、裁判官の仕事は本当に意義があるとつくづく感じた。青少年を担当する裁判官だったからなおさらかもしれない。若者を助け、正しい道に導き、社会をよくすることができる。世の中にはさまざまな仕事があるが、自分も意義ある仕事をしたいと心から思った。