第16回 病院研修 (その2)

最初の研修先は、ロマリンダ・メディカルセンターだった。キリスト教・プロテスタントの一派である、セブンスデー・アドベンチスト教会系の病院だ。カフェテリアではベジタリアン料理しかなく、しかもカフェイン入の飲み物は売っていない。コーヒーがないと目が覚めない私には、厳しかった。ポットに入れて持参するか、病院から出て普通の店に行くしかない。先輩技師も「カフェイン入りの本物のコカ・コーラじゃないとダメなんだ」と言って、昼休みに外で買っていた。ベジタリアン料理は何回か試してみたが、メキシコ料理以外はイマイチだった。病院によって、カフェテリアでもこんなに違うとは。

脳神経内科には技師が10人以上いて活気があった。45年の経験を持つ人もいたし、ベテランが多かった。入院患者病棟から外来患者専門のクリニックまでは、バスで行くほど広かった。私と同級生のテリーは交代で家から運転して病院まで行き、10時間のシフトをこなした。

この病院で、テリーと私は一生忘れない患者に出会った。名前は仮にローサさんとしておこう。30代で細身のメキシコ系アメリカ人だった。いつも彼女の姉と兄が付き添っていた。知能障害があり、発作を起こすので、脳波検査のために通院していた。長い髪のきれいな人だったけど、あまり笑わなかったと記憶している。彼女は怒ると、唾液を人に吐きかけたり物を投げつける。ある日、長時間待たされてしびれを切らしたローサさん。そこを通った女性に思いっきりつばを吐き、モロにかかってしまった。まさかその人が、直後に診察してもらう神経内科医師だとは知らずに。付き添いのお姉さんが必死に謝っていた。

ローサさんに長期検査のセットアップをする準備を手伝っていたとき、彼女は激しく抵抗した。そして私に向けて力いっぱいペンを投げつけた。すごいスピードだったが、彼女が物を投げることを知っていたので、瞬時によけることができた。もしまともに当たっていたら、怪我をしていただろう。唾液も吐きかけられたが、これもしっかりかわした。

ローサさんには、すごい特技があった。彼女は英語とスペイン語のバイリンガルで、その場面により完璧に使い分けるのだった。自分の親戚とはスペイン語だけで、病院のスタッフとは英語で。ベテランの女性技師が言った。

「私なんか英語しかできないけれど、彼女は見事に言葉を操っている。どうして彼女を知的障害者というのかしら?」

この病院では教科書に出ている症状を持つ患者さんに、たくさん遭遇した。将来、就職したらやり甲斐があるだろうな、と思った。しかも技師が必要なようで、マネージャーから卒業したら働く気はあるかとアプローチされた。ただし、自宅から80キロメートルほども離れている。しかも技師は、交代でオンコール(on call)をこなさなければならない。これは、待機して緊急検査の場合にすぐ病院に来ることだ。夜中に呼ばれる可能性もある。この病院は無理だな、と就職希望先からまずはずした。

伊藤葉子(いとうようこ)/プロフィール
ロサンゼルス在住ライター兼翻訳者。米国登録脳神経外科術中モニタリング技師、米国登録臨床検査技師(脳波と誘発電位)。訳書に『免疫バイブル』(WAVE出版)がある。